マジンガー&ゲッター(1972-75)
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001 2017/01/19(木) 23:28:34 ID:nk3OQSHxqo
039 2023/03/18(土) 05:11:22 ID:cC24F53qF.
>>38 ――永井先生からみて、石川先生はどんな漫画家でしたか?
永井:器用だし、筆は速いし。キャラクターをいつも沢山描いてもらっていたせいか、モブシーンが滅茶苦茶得意になっちゃってましたね。わざわざ自分でもモブシーンを作って描いたりしていた。とにかくキャラが動いているのが好きで、アクションの演出も上手です。彼の才能はつねに感じていました。
――「これが石川賢の世界だ」と実感したのはいつ頃でしょうか?
永井:やっぱり山田風太郎の『魔界転生』(1987年)をやった時じゃないでしょうか。あのあたりでは、かなり自分流のものができあがっていたんじゃないかなぁ。描き溜めしている絵も毎回すごく良いので「これは良い作品になるな」と思って、ときどき「どうなったんだろう」と見に行っていました。
――石川先生が『ゲッターロボ』を描いたことで、どんな化学反応が起きたと思いますか?
永井:あれによって石川賢がマンガ家として、編集者など出版関係の人たちにしっかりと認識されたと思います。それまでは連載や読切をやったとしていても、そこまでマンガ家として確立できたという感じではありませんでした。『ゲッター』でテレビに名前も載りましたし、各出版社も「石川賢という、永井豪とは別のマンガ家がいるんだ」としっかり認識したのだと思います。ダイナミックのマネージャーとしても売りやすくて、セールスがしやすくなったでしょうね。
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040 2023/03/18(土) 05:13:50 ID:cC24F53qF.
>>39 ――石川先生と最も密に仕事をされていたのは『ゲッターロボ』の頃なのでしょうか。
永井:いや、もう本当にずっと仕事をしていました、助けたり助けられたり。しょっちゅう飲みにったり、ゴルフに行ったり、帰りに送ってもらったり……。突然亡くなるまで、もう本当にずっと一緒でした。
――『ゲッターロボ』『ゲッターロボG』と続いて、その後、『ゲッターロボ號』(1991年2月連載開始)が改めて始まります。
永井:「『ゲッター』は石川ちゃん」みたいな感じで、基本はずっとお任せでした。『ゲッターロボ號』の時はキャラクター原案だけやりましたが、『ゲッター』のマンガは石川ちゃんにどんどん進めてもらえればいいやと。彼もいろいろな新しい設定を作っていって、敵も石川流にどんどん面白いものを考えてくれて良かったと思います。
――『ゲッターロボアーク』は連載中に読まれていましたか?
永井:通して読むというよりは原稿で見ることが多かったかなぁ。雑誌でちょっと見るけど、それも飛び飛びなんで、単行本になってから一応きちんと読んだりしました。そこで「こんな展開だったんだ」と初めてわかったり(笑)。例えばゲッター線というアイデアも最初は僕だけれど、その後の発展のさせ方は、石川賢のオリジナルを発揮してくれて。僕は「どんどんすごいことになっているな」と傍観者として見ていました(笑)。どんどん世界を広げていくれたのでいろいろなキャラクターが未だに生きてくれていることになったのは本当にありがたいです。
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041 2023/07/05(水) 20:46:29 ID:5T9d/JQ00c

1975年・冒険王ふろく・テレビコミック ゲッターロボG
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