1904年(明治37年)‾1905年(明治38年)日露戦争
1907年、日露両国は第一次日露協約を締結し、相互の権益を保全するという合意を締結した。以降、日露関係はほとんど同盟状態に近いものとなった。
1912年(明治45年/大正元年)辛亥革命が終わり中華民国が成立、因みに金日成が誕生した年
しかし
1914年(大正3年)〜第一次世界大戦に近代化の遅れていたロシアは敗走を重ね経済は破綻
1917年 ロシア革命の勃発によってこの関係は崩壊する
1918年〜1922年(大正11年)シベリア出兵
ロシア白軍+連合国(日英米仏伊・フランス・イタリアなど)が「革命軍によって囚われたチェコ軍団を救出する」という大義名分で出兵
日本は兵力7万3,000、4億3,859万円から約9億円(当時)という巨額の戦費を投入。3,333人から5,000人の死者を出した。
1923年(大正12年)関東大震災
国外では第一次世界大戦の結果としてドイツやオーストリア、ロシアなどで君主制が廃止されていき、共和制国家が多数成立しはじめた。
これらはデモクラシーの勝利とされたうえ、ロシア革命で普及し始めた共産主義思想も日本のインテリ層の思想に影響を与えた。
大正期の知識人は、改造・革新・革命・維新の4種類を政治運動のスローガンに掲げた
大正年間は2度に及ぶ護憲運動(憲政擁護運動)が起こり、明治以来の超然内閣の政治体制が揺らぎ政党勢力が進出することになった。それらを大正デモクラシーと呼ぶ
大正デモクラシーの政治運動の中で、資本主義を批判する社会主義・共産主義の影響力が強まった。
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